すごいぞ 関東平野

関東平野の興味深い地形を、webGISを活用したOSINTの手法であぶり出します

暴れん坊将軍は酪農家だった!? 乳業大手のルーツ、峯岡牧とは?

余は、その方らを育てた覚えはないぞ…?

 

 千葉県館山市から木更津市を結ぶ国道410号線。房総半島中央部の丘陵地帯を南北に縦断する国道で、南房総へのドライブの際に抜け道としても使われるそうです。使いました。

 千倉や館山から北を目指して走り、鴨川市に入る手前で、千葉県最高峰の愛宕山を主峰とする嶺岡山地に入ります。

里のMUJI みんなみの里 から見た愛宕山

コイン式コーヒーマシンもあって、休憩にはよかったです

 ちなみに愛宕山は、知る人ぞ知る名峰(迷峰?)です。

 まず、都道府県の最高峰の中で、愛宕山は標高408mと最低なのです。都道府県の最高峰の中で1,000mを下回るのは、京都府大阪府沖縄県、そして千葉県です。京都や大阪は900m級、沖縄(石垣島於茂登岳)ですら526mあります。

 さらに、これほどまでに低山なのに、とても登りにくい山なのです。高い登山技術が求められるわけではありません。航空自衛隊のレーダーサイト(峯岡山分屯基地)が設けられ、無許可での登頂ができないためです。

 それでも、千葉県最高峰なので、レーダーを設置するには都合がよいのです。なぜかって?こちらをどうぞ 

amazingkantoplain.hatenablog.com

 高所へ行けば行くほど、水平線までの距離が遠くなり、レーダーに探知されないよう海面すれすれで侵入する敵機をより早く発見できるからです。

 

 本題に戻って、嶺岡山地に入ると、ちょっとした驚きをドライバーにもたらす看板が出迎えてくれます。

開港地横浜でも北海道でもなく、房総の山中!?(Googlemapストリートビューより)

 看板には、「日本酪農発祥の地」と書かれています。なぜここ、嶺岡山地なのでしょうか?

 

 江戸幕府は、現在の千葉県内に軍馬生産地である3つの牧を所有していました。野田市から習志野市まで広がる「小金牧」。香取市から八街市に広がる「佐倉牧」。そして今回取り上げる「峯岡牧」です。

 小金牧や佐倉牧は、江戸から近く、下総台地上で維持しやすかったため、幕末まで管理がおろそかになることもありませんでした。

 兵員や物資を当時としては高速で移動できる軍馬は、現代で例えるなら戦車や装甲車のようなもの。牧はある意味、軍用車両の工場です。

 

 しかし、峯岡牧は、嶺岡山地の尾根の上にあり、江戸からも遠い立地です。また、五代将軍綱吉による生類憐みの令発布に伴う軍馬需要の減少や元禄関東地震による損壊もあり、一時期は存続が危ぶまれることとなりました。

 

 その後、八代将軍徳川吉宗による享保の改革の一環として、牧が再興されるとともに、白牛(セブー種、南アジアの牛の一系統で耐暑性が高い)が導入されます。幕府は白牛の乳から白牛酪を生産し、日本橋疲労回復薬や解熱剤として販売します。

 白牛酪は、白牛の乳に砂糖を加え固くなるまで煮詰めて作るそうなので、煉乳かバターに類するもののようですよ。食べたことないけれど

 

 明治に入ると峯岡牧は、新政府の嶺岡牧場として再出発しますが、すぐ民間に払い下げられるとともに、周辺では個人経営の煉乳工場が乱立しました。

 江戸改め東京からは、やはり遠い立地なので、濃縮と加糖により輸送性と保存性を高めた煉乳の生産が盛んになりました。当時は、キャラメルなどの製菓材料や軍需用として、煉乳の需要が増大していたのです。

 

 個人経営の煉乳工場が乱立する状態から脱するため、いくつかの工場が合併し房総煉乳となりました。製菓材料を求めていた明治製糖(明治製菓明治乳業の母体)も出資し、房総煉乳は明治乳業のルーツとなります。

 また、森永製菓はミルクキャラメルの原料の国産自給のため、比較的規模の大きな地元企業を買収し、日本煉乳を設立しました。これは森永乳業のルーツとなります。

 さらに、日本に進出してきたスイスのネスレが、輸入に頼っていた商品を日本国内で製造するにあたって、1933年に淡路島の藤井煉乳と提携するのですが、この藤井煉乳、発祥の地は峯岡牧近辺でした。

 

解せぬわけではないが…やはり余ではないぞ?

 

 ここまで、なんと1900文字近くも書いてきましたが、酪農の歴史ブログではないので…そろそろ地形の話をしたいと思います。

 なぜ峯岡牧は、嶺岡山地の尾根の上に成立したのでしょうか?解説しましょう。

 

 房総半島は、新第三紀(2300万年前~)以降の付加体からなります。海洋プレートの上に堆積した砂や泥が、海洋プレートの沈み込みの際に大陸プレートに付加した後に隆起して地上に現れた、砂岩や泥岩といった堆積岩です。

 しかし、この嶺岡山地は異なります。沈み込んでしまった過去の海洋地殻(プレートとは若干違うのです。地殻+マントル上部=プレート)を構成する、蛇紋岩や玄武岩といった、古第三紀の火成岩からなります。専門用語で「オフィオライト」といいますが、それはそれとして…

嶺岡山地は、他の房総の山々や丘陵とは異なる(地理院地図を加工)

 枕状溶岩などに由来する蛇紋岩は、もろく崩れやすいため、分布地域は地すべり地帯となります。また周囲の海成層も断層により破砕され浸食されやすく、鴨川の低地を発達させました。

 傾斜量図で見るとわかりますが、嶺岡山地に立地し、峯岡牧を構成する西牧、東牧は、他の山々と違って白っぽい(起伏や傾斜が少ない)です。

 こうして、周囲の低地との高低差があり、かつ尾根の上はなだらかという、牧場に適した地形が成立しました。

 

 八代将軍も乳業メーカーも、峯岡牧と地質地形の関係性に、気づいていたかな?

 

 ちなみに、風光明媚な景勝地、鴨川松島では、運が良ければメノウが拾えるそうです。このメノウは、嶺岡山地をつくった蛇紋岩などの火成岩が、この浜辺に打ち揚げられたものです。

行ってみたのですが…拾えませんでした

 

(参考)

一般財団法人農政調査委員会

  「短報・コラム:日本酪農発祥之地「嶺岡牧」の今日的意義(前編)」

  「日本練乳製造業の経営史的研究 ー安房地域を中心としてー」佐藤翔平

ネスレ日本法人ホームページ 「ネスレ日本の歩み」

酒々井町経済環境課商工観光班 「房総の牧」

NPO法人 エコロジー・アーキスケープ 「徳川吉宗再興の江戸幕府直轄牧 嶺岡牧」

温泉科学 日本温泉科学会第 73 回大会特別講演 S4「房総半島南部の地形と地質」高橋直樹

金沢大学理学部地球学科 石渡明「オフィオライトのページ」http://earth.s.kanazawa-u.ac.jp/ishiwata/ophiol_J.htm