
120年の歴史を誇る、日本の産業史を語るうえで欠かせない大企業の発祥の土地が、ついに完全に役割を終えようとしています。
社名も実は、発祥の地の“地形”に由来しています。
先日、こんなニュースが上がっていました。
カネボウと言えば、戦前は日本の基幹産業である繊維産業のトップ、戦後は”ペンタゴン経営(5事業による多角化)”の一角を占める化粧品事業が業界首位の資生堂に肉薄するなど、近代日本の歴史を語るには欠かせない名門企業……でした。
高度経済成長期以降、祖業の繊維を含めた他の事業の赤字を化粧品事業の黒字で埋める経営が続きましたが、バブル崩壊後以降はそれも困難となり、債務超過、粉飾決算の末、2004年産業再生機構に支援を要請しました。
好調だった化粧品事業は2006年に花王に売却され、残りの事業をファンドに営業譲渡したカネボウ本体は翌年に解散し、120年の歴史に幕を下ろしました。
そんな栄光と挫折の歴史を持つカネボウ、元々の社名は創業の地から「鐘淵(かねがふち)紡績」と言いました。(鐘淵紡績→鐘紡→カネボウ)
では、「鐘ヶ淵(鐘淵)」の由来とは何でしょう?
よく知られるのは「沈鐘伝説」―――由緒ある鐘が沈んでいることを聞き、八代将軍徳川吉宗が引き上げようとするも叶わず、鐘は再び河底へ―――というお話です。
※吉宗公と千葉の地形についての記事だよ!
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しかし、鐘ヶ淵の由来は“沈んだ鐘”ではなく、地形的な要因だったようです。
江戸時代後期の記録には、隅田川がまるで大工道具の「さしがね」のように直角に曲がっていたことに由来すると書かれています。
(”さしがね”が淵→かねが淵→鐘ヶ淵)

では、「かねが淵」の周辺を治水地形分類図で確認してみましょう。

図を見ればわかりますが、上野台地と国府台の間は、江戸湾奥の狭窄部となっています。
この狭窄部に、潮の流れに沿うようにして土砂が堆積し、湾奥を横断するように砂嘴や砂州ができました。古代の東海道はこの上を通っています。
※禁足地と知られる葛飾区の「立石様」の正体は、古代東海道の道標
※市川砂州の上の禁足地、「八幡の藪知らず」の謎解きはコチラ!
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中川や隅田川は屈曲しながら、この砂嘴や砂州を越えています。その屈曲の一つが、今回のテーマの「さしかねが淵」というわけです。
そんな地形地名に由来するカネボウ(鐘紡)ですが……逆に、カネボウの社名に由来する地名も日本全国にあります。
工場があった、山口県防府市、富山県高岡市、滋賀県長浜市には、現在でも「鐘紡町」があります。また大字が「若里鐘紡」であった長野市若里6丁目の公園の名前は「鐘紡遊園地」となっています。
さて、冒頭でご紹介したニュースに戻って、売却予定のカネボウ発祥の地、敷地の一角に「カネボウ公園」があり、「鐘淵紡績株式会社 発祥の地」と刻まれた石碑や、震災慰霊の観音像もあります。
墨田区が設置管理する公園のリストにはないので、この公園はカネボウの事業を引き継いだ花王の所有物かと思われますが、今後どうなるのでしょうね……?

かつての、さしがねのような淵のほとりに生まれたカネボウの発祥の地。
この土地がこれからどのような役割を担うのか、静かに見守りたいですね。