武蔵野台地は、多摩川、隅田川、新河岸川、入間川および同水系の霞川で区切られた、面積約700㎢の台地です。秩父山地を抜け出した多摩川が作った広大な扇状地を基盤とし、その上に関東ロームが堆積してできた、広大で平坦な台地です。
関東平野そのものや大阪平野といった沖積平野を除けば、おそらく日本最大の居住人口を誇る大地形(複数の都道府県にまたがるような広域の地形)でもあります。(区部西部+多摩北部+埼玉県南西部=1000万人弱⁉)
さてその広がりですが、北端は川越城周辺、東端は上野寛永寺、南端は池上本門寺周辺となっています。いずれの名所旧跡も武蔵野台地の端部という立地条件から、標高は周辺より高く、防御機能の強化や荘厳さの演出に地形を上手に活用しています。
ところで、西端は?
左は傾斜量図ですので、傾斜が緩いと白く、急だと黒色が濃くなります。したがって、青梅駅近くの住吉神社の丘が、地形からみれば台地西端のようです。
右は地質図を重ねています。黄緑色が武蔵野台地を構成する第四紀の段丘堆積物ですので、地質学の観点からは、台地は青梅駅よりまだ西に伸びているように見えます。
ですが、武蔵野台地の西端はどちらでもありません。
左右の地図それぞれの中心である十字の地点、具体的には青梅市新町1-39に所在する、大山公園内の小さな丘の頂上こそ、西端の地です。
なぜ、そう言い切れるのかって?こちらの写真をご覧ください。
新田開発者により稲荷社を祀った塚が、のちに地元の住民に大山と呼ばれ、土地区画整理事業で公園内に取り込まれるとともに、その公園名の由来にもなりました。
そして、江戸初期の新田開発による新町開村380周年を記念し、平成8年3月に青梅市は、稲荷塚の頂上に石碑を建てました。