川越市大塚、ちょうど関越自動車道川越インターの北側に、山王塚古墳はあります。
令和4年12月16日、文化庁の文化審議会は、この山王塚古墳を史跡として指定するよう、文部科学大臣に答申しました。
記載の通り山王塚古墳は、国内最大規模の上円下方墳です。文字通り四角形の下段の上に、円形の上段が乗る形状の古墳となっています。
この上円下方墳は確認順に、石のカラト古墳(京都府相楽郡/奈良市)、清水柳北1号墳(静岡県沼津市)、武蔵府中熊野神社古墳(東京都府中市)、天文台構内古墳(東京都三鷹市)、野地久保古墳(福島県白河市)、そしてこの山王塚古墳と、現時点では全国6か所しかありません。いずれも7世紀半ば~8世紀初頭の、100年弱の間に造られたと考えられています。
また、明治天皇、大正天皇、昭和天皇の天皇陵も、この形となっています。
これは、大化の改新でおなじみの天智天皇陵(近年の調査では、八角墳と判明)を上円下方墳とみて、それに習ったためです。
さすが日本最大の大仙陵…はさておき、山王塚古墳は大きいですね。それでも、地理院地図の標準図では、広葉樹の記号が記された、建物のない土地としか表現されません。
では、高低差がはっきりわかる、陰影起伏図ならどうでしょう?
おお、陰影起伏図でみれば、上段の円形はくっきりしていますし、少し崩れながらも下段の方形もよく確認できますね。
ところで先ほど述べた通り、関東平野にはあと2つ、上円下方墳があります。府中市の武蔵府中熊野神社古墳と、三鷹市の天文台構内古墳です。
山王塚古墳の西方には、古墳築造に前後して整備された官道、東山道武蔵路がありました。
律令制が確立する7世紀に成立し、8世紀には降格されたと考えられている、約12mの幅を持つ古代の幹線道路です。のちの鎌倉街道上道(鎌倉~両毛地区を結んだと考えられる)のルーツとなっています。
この古代の道を南に向かうと、武蔵府中熊野神社古墳があります。
これら2つの古墳には、何らかの関係性があったのかもしれませんね。