地理院地図の陰影起伏図や傾斜量図といった、土地の凹凸を表現する地図を使うと、鉄道の廃線跡は比較的よくわかります。
鉄道は、鉄輪と軌道の組み合わせにより摩擦が少ないため、大量輸送が可能な代わりに勾配には弱いのです。そのため線路を建設する際は、切土や盛土で地形を改変し、勾配をできるだけ緩和します。
しかし、地形を改変すればするほど、建設費は増加します。建設費を抑えるため、勾配に強い交通機関を求めるのであれば、摩擦の大きなゴムタイヤを採用したモノレールや新交通システムがよいでしょう。地形の改変が少なく済みます。
ですので、土地の凹凸を表現する地図を使っても、モノレールや新交通システムの廃線跡はあまりよくわかりません。
そもそも、モノレールや新交通システムの廃線跡、なんてモノにはなかなかお目にかかれません。これらは、都市計画の一部として建設される交通ですので、そうそう廃止されるものではありません。
ところが、横浜市栄区と鎌倉市の境界付近には、そんなレアもののモノレールの廃線跡が、はっきりと大地に刻まれています。見てみましょう。
切土によって丘陵部の勾配を緩和していることがわかります。ゴムタイヤを採用し地形の改変が少なく済むとは言え、限界はありますからね。それでも、このモノレールの最急勾配は10%(水平100mに対し10m上昇)あったそうです。
これは、東海道本線大船駅と、廃園となった横浜ドリームランド遊園地とを結ぶ、通称ドリームランドモノレールの廃線跡です。全長約5㎞、開発企業の名を冠した東芝式を世界で唯一採用した跨座式モノレールでした。
開業は1966年5月、運行休止は1967年9月となっており、運行期間はわずか約1年半です。これは運行開始後、車両にも構造物にも欠陥が発覚し、安全上の観点から運輸省より休止勧告が出たためです。
欠陥の内容は、急勾配対策として当初設計より出力増 → モーター重量増 → 車体と構造物が耐えられない、だそうです。
廃園後の現在も、地域住民の足として存続していれば、大船駅は跨座式と懸垂式、両方のモノレールが発着する、世界的に見ても稀有な駅となっていたのですが…惜しいものですね。
(懸垂式の湘南モノレールの開業は1970年と、ドリームランドモノレール休止後)